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【インタビュー】星屋株式会社(帯広市) 星屋洋樹社長 

親子二人三脚で創業


 

星屋洋樹社長

 帯広市内に本社を構える星屋は、木造注文住宅を専門に宅地造成や不動産取引など幅広く事業を展開する。1974年に星屋洋樹社長(72歳)と仙台の父・銃吉氏で創業した。当時は建売住宅を中心に扱っていて、社名は星屋宅建。同じ時期に、星屋不動産も立ち上げている。

 

 帯広は道内随一の寒冷地で、時期によってはマイナス30度が続く日もある。厳しい冬の寒さ、夏の暑さに適合した住まいづくりに試行錯誤する時期が続いた。


 そんな中、会社の将来を決定づける話が舞い込む。十勝毎日新聞社が住宅展示場「勝毎ホームセンター」を開催するというのだ。「当時、東北海道地域ではここまで大きな住宅のイベントはなかったと思う」。地元ビルダーや大手ハウスメーカーらが集う計11社の一員として、展示場の出店場所や規格を話し合った。


 1982年6月のオープンが決まり、準備を進めていた矢先に試練が訪れる。父の銃吉氏が急逝した。展示会開催1年前のこと。「あまりに突然な事で、会社を引き継ぐ事に困難が続き1人でやるしかないと思った」。この時期に会社経営を継続するのは難しいとの判断で、星屋不動産は廃業している。


 社長として初めての仕事となった展示場のモデルハウスは、会場となった青田団地(西19条南4丁目)に建設した。1980年代に流行っていたアメリカの住宅をイメージしたデザインを採用。北方圏諸国で進む高断熱化構造を取り入れるなど、自社の技術を結集した。


 オープン初日は、家族連れで賑わう盛況ぶりだった。休日だけでなく平日にも、帯広市内だけでなく道東地区から人が訪れ、展示場の成功に安堵した。経営者として自信につながる一幕も。「見学者が自社のモデルハウスを気に入り実際に同じ家を建てたいと言ってもらえた」。その後、勝毎ホームセンターには34年間、50回連続で出展。この記録は星屋のみが持つ。「会社が軌道に乗ることができたのは、この住宅展示場に出展してきたことが大きい」。


経営の多角化で創業50周年へ


 

星屋社屋

 道内の人口減少に歯止めが掛からないことで、住宅産業は縮小しつつある。星屋も注文住宅を軸にピーク時は年間50~60戸の受注があったが、2010年を機に年間30~40戸程度で推移しているという。「国の住宅政策は新築中心とはなっていない。むしろ既存住宅の流通を後押ししている」。

 

 このため、注文住宅にとらわれず、リフォームやリノベーションなど中古住宅をトータルコーディネートすることで、時代の流れに対応する必要があると説く。

 

 不動産事業にも軸足を向ける。「昔、星屋で家を建てた人から物件を売却したいという相談は多い。それで仲介をやろうということになった」。


 新たに不動産部門を設けて資産売却の仲介や、遊休地を活用したアパート・マンションの企画提案、事業用地の仲介と業務を広く扱っている。最近では、帯広市内の幹線道路沿いで店舗出店を考える顧客から相談を受ける案件も多いという。

 「一定の広さを確保するため、土地を共同にするなどしてまとめていく必要がある。こういうことは地元の不動産業者しかできない」。


 創業50周年を目前に控える星屋。地元との関わり合いを深く持ちながら住宅・不動産業を経営基盤に、しっかりと帯広に根を下ろしている。


(第1065号 2021年9月1日号 10面より)

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